東海道寝台特急のおもいで 1 [鉄道]
東京駅発の寝台客車列車も、もうすぐ「終着駅」に到着してしまいます。
1986(昭和61)年6月20日
東京駅10番線での 3レ「はやぶさ」号です。
「はやぶさ」を見たのはこの時が初めて。
妻面にチラッと見えるのは「南シナ」の表示か。
当時、まだ珍しかったロビーカー オハ24。ドアがあるタイプ。
奥は食堂車で、発車の際にはウエイトレスさんたちが並んでお辞儀をしていたなぁ。
客車もまだまだ「若い」。
当時の「はやぶさ」は、このロビーカーと電源車込みで15両編成。
長っ!
16時50分 西鹿児島を目指して発車していく「はやぶさ」号
終着駅に着くのは翌14時11分。
今とは違う「時間の流れ」だったのでしょうね。
まだまだ明るい16時という時間でも、それなりのお客さんがいたように記憶しています。
さすがに、この列車で西鹿児島まで行く気にはなれなかったです…。
当時の運賃で「東京−西鹿児島」間が14,200円。これにプラス特急料金と寝台料金。
行ったら帰ってこなくてはいけないので、それを考えると学生の身分では辛すぎる額でした。
でも、今になってみると無理をしてでも乗っておけば…って思ってしまいますが、なんだか当時も今も同じ思いをしているような…。
1986(昭和61)年6月20日
東京駅10番線での 3レ「はやぶさ」号です。
「はやぶさ」を見たのはこの時が初めて。
妻面にチラッと見えるのは「南シナ」の表示か。
当時、まだ珍しかったロビーカー オハ24。ドアがあるタイプ。
奥は食堂車で、発車の際にはウエイトレスさんたちが並んでお辞儀をしていたなぁ。
客車もまだまだ「若い」。
当時の「はやぶさ」は、このロビーカーと電源車込みで15両編成。
長っ!
16時50分 西鹿児島を目指して発車していく「はやぶさ」号
終着駅に着くのは翌14時11分。
今とは違う「時間の流れ」だったのでしょうね。
まだまだ明るい16時という時間でも、それなりのお客さんがいたように記憶しています。
さすがに、この列車で西鹿児島まで行く気にはなれなかったです…。
当時の運賃で「東京−西鹿児島」間が14,200円。これにプラス特急料金と寝台料金。
行ったら帰ってこなくてはいけないので、それを考えると学生の身分では辛すぎる額でした。
でも、今になってみると無理をしてでも乗っておけば…って思ってしまいますが、なんだか当時も今も同じ思いをしているような…。
一番活気があった頃の写真ですね。
”はやぶさ”も西鹿児島行きの方向幕であるのと、機回しの11番線とその奥の
東海道本線12・13番線ホームが写っていて...
この頃の16時台から始まる寝台特急の時間帯がとても懐かしいです。
私は東京から博多まで乗車するパターンだったので、時間帯の早い”さくら”、”はやぶさ”、
”みずほ”に乗るために時間が遅い”出雲”や”瀬戸”等を撮影することは出来ませんでした。
1988年を最後に乗る機会も無く撮影するだけでしたが、とうとう来週には
東京口のブルートレインがなくなってしまうのは寂しいですね。
by 闇部長 (2009-03-07 00:22)
この時間帯から始まる東京駅9・10番線ホームは特別な雰囲気を持っていましたね…。上野駅地平ホームと似ているようでまた違う雰囲気が感じられました。
東京駅のブルートレインがなくなってしまうのは本当に残念です…。
by dora (2009-03-09 00:52)
はじめまして。
ロビーカー、食堂車のついた15連、この時代はよかったですねぇ。
新幹線や飛行機で一気にいくより一晩かけてのんびりいくほうが好きでした。
私は学生時代は九州北ワイド周遊券を学割で使ってました。
この年以降、東京駅撮影行くたびに12,13番線ホームがなくなり、機回し線がなくなりとどんどん変わっていってしまいましたね。
by k-hide (2009-03-09 12:45)
k-hide さま
コメントありがとうございます。
この頃はまだまだ東海道ブルトレの需要があった時代ですね。
15両あっても、シーズン中は満席だったりしたのですから、今から見ると考えられないことです。
私は、朝の下松近辺の車窓を眺めるのが好きだったのですが、もう見ることができなくなってしまいます…。
by dora (2009-03-10 01:11)