1994年 春の九州行 4 [旅]
大分で1泊後…。
「荒城の月」の舞台の一つであるとされる 岡城跡
当時、大分からの豊肥本線は台風による洪水で沿線各地が線路や鉄橋が流されていて、その復旧工事の真っ最中でした。
行くまでに復旧してくれることを密かに期待して行ったのですが、そう簡単に復旧する訳もなく、大分駅から清川駅までは列車で。清川駅からは赤一色のJR九州鉄道代行バスにすし詰めになりながら緒方駅まで。
緒方駅からは キハ52 102 で豊後竹田駅までやってきました。
豊後竹田駅から先は、鈍行列車愛好家泣かせの閑散区間で、かつ接続も良くないダイヤになっており、せっかく竹田に寄るのだから岡城趾を見てみたいことから、ここから先はレンタカーで移動することに。
山の上にある岡城趾は、よくこんなところに石垣を積んだものだと思うような場所。
何本かは桜が咲いていたような覚えがある。
レンタカーで阿蘇駅まで移動。
阿蘇駅でないと乗捨てができなかったので。
結局、豊後竹田駅−阿蘇駅間は未だに未乗区間…。
ウェスタン風になっている駅舎
列車を待つ間にやってきた「SLあそボーイ」
緑色のハチロク
この列車に乗ることもできたのだが、こんな感じだったのであんまり興味はなかったような…。
列車の客車や乗っている乗務員、ホームなどもウエスタンチックになっており、西部劇をイメージしていたようだけど、なんとなく「遊園地の汽車」みたい…。
立野駅のスイッチバックを楽しみながら、南阿蘇高原鉄道に乗り換え。
高森駅 MT2002
高森駅前に保存されている C12 241
ベタベタとペンキを塗られずに、ロッドなどは油を差されていました。
車輪の赤ペンキは錆び止めのようで。
屋根も付いて、非常に状態がいい印象。
小さい門デフはご愛嬌ですかね(w
1994(平成6)年03月22日
竹田、阿蘇駅、高森駅
Nikon F-801s, AiAF20mm F2.8, AiAF35mm F2.0, FUJI REALA
「荒城の月」の舞台の一つであるとされる 岡城跡
当時、大分からの豊肥本線は台風による洪水で沿線各地が線路や鉄橋が流されていて、その復旧工事の真っ最中でした。
行くまでに復旧してくれることを密かに期待して行ったのですが、そう簡単に復旧する訳もなく、大分駅から清川駅までは列車で。清川駅からは赤一色のJR九州鉄道代行バスにすし詰めになりながら緒方駅まで。
緒方駅からは キハ52 102 で豊後竹田駅までやってきました。
豊後竹田駅から先は、鈍行列車愛好家泣かせの閑散区間で、かつ接続も良くないダイヤになっており、せっかく竹田に寄るのだから岡城趾を見てみたいことから、ここから先はレンタカーで移動することに。
山の上にある岡城趾は、よくこんなところに石垣を積んだものだと思うような場所。
何本かは桜が咲いていたような覚えがある。
レンタカーで阿蘇駅まで移動。
阿蘇駅でないと乗捨てができなかったので。
結局、豊後竹田駅−阿蘇駅間は未だに未乗区間…。
ウェスタン風になっている駅舎
列車を待つ間にやってきた「SLあそボーイ」
緑色のハチロク
この列車に乗ることもできたのだが、こんな感じだったのであんまり興味はなかったような…。
列車の客車や乗っている乗務員、ホームなどもウエスタンチックになっており、西部劇をイメージしていたようだけど、なんとなく「遊園地の汽車」みたい…。
立野駅のスイッチバックを楽しみながら、南阿蘇高原鉄道に乗り換え。
高森駅 MT2002
高森駅前に保存されている C12 241
ベタベタとペンキを塗られずに、ロッドなどは油を差されていました。
車輪の赤ペンキは錆び止めのようで。
屋根も付いて、非常に状態がいい印象。
小さい門デフはご愛嬌ですかね(w
1994(平成6)年03月22日
竹田、阿蘇駅、高森駅
Nikon F-801s, AiAF20mm F2.8, AiAF35mm F2.0, FUJI REALA
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